♯035 「再発防止」

  • 2018.06.08 Friday
  • 11:57

 

日本は、病気なんだね。

 



♯035 「再発防止」

いい加減聞き飽きた「再発防止に努め、信頼回復を図ります」という言い訳。
首相とか総理とかが好んで口にする言葉ですね。

書類の改ざん・隠ぺい・廃棄、虚偽発言……次から次へと表沙汰になる信じたくない出来事。すべては、わが住む国のサーバントの行為ですよ。こうした行為が今後も再び起こることが、再発の意味とばかり思っていましたが、辞典*に“治った病気がもう一度発病すること”ともあります。
なるほど、度重なる悪質な行為は、病気の症状なんですね。
サーバントの隠ぺい体質も問題で、これが原因して繰り返される。
そうならないように防止する、その意味は、“望ましくないことが起こらないようにあらかじめ手を打つこと” *と。

ちなみに体質の意味は、“その人が生まれながらにもっているからだの性質” *というわけで、隠したり嘘をつくのは、サーバントの体質ですから一朝一夕に治せない。
ですよね。病気なのですから。それが大学や企業にも感染して国中が困った症状のオンパレード。
あらかじめ体質を改ざん、否、改善するには時間もかかるし、ましてや地に落ちた信頼の回復などできっこない。

そうでもないかな?
不祥事を起こしたことなどすぐに忘れて、疑いもなく政権を信じて支持する民も相当いることだし、信頼回復は明日にでもできる?
いえいえ、疑いもなく信頼してしまう、そのことがもう病気でしょう。

失った信頼は、にわかに回復できないものです。軽々しく「再発防止云々、信頼回復云々」などと、バーゲンの呼び込みのように口にして欲しくありません。
病気を治すには、発症の原因を究め、背景を分析し、体質を知り、それらのひとつひとつをつまびらかにすることが第一歩。

信頼して欲しいのなら、再発防止という言葉を使う事態が再発することを防止していただかないと、病気は重くなるばかりです。反面、言葉が軽くなるばかり。責任者、出てこ〜い! *『明解国語辞典』



 

♯034 「指導」

  • 2018.01.12 Friday
  • 09:12

それは、謝りでなく誤りです。

 



♯034 「指導」


学校教育の現場で度々起きている不祥事。
被害者は,えてして生徒ということになります。
問題が発覚すると、とりあえず学校や教育委員会などの責任者が謝罪することになりますね。
長机を前にして、横に3・4人が並び頭をペコリと下げる見慣れたシーンです。
誠実さが伝わってこないのはなぜでしょうか。

謝罪の言葉はいつもお定まりで、事が起きたのは「行き過ぎた指導により……」「不適切な指導があった……」という具合です。

果たして、「指導」がなされていたら不祥事など発生するはずがないのですが。「指導はしたんですけどねぇ、それは行き過ぎていたり、不適切であったりしたわけなんですね。でも起きちゃった次第で」という責任逃れとも受け取れる展開に。
そうかなぁ、こんな言い訳が適切なのかなぁ?

そもそも、行き過ぎたら「指導」じゃないでしょう。不適切もそうです。
指導は、目的に向かって教え導くこと:『広辞苑』です。
辞書に頼るまでもなく、教育者であれば言葉の意味はおわかりのはず。
そのうえで謝罪の際に「指導」を引っ張り出すのはずるい、あざとい、情けない。
行き過ぎてでも、不適切でも「指導」していると言い張るのなら「指導」の代わりに「親切」であったり「誠実」という言葉に置き換えてみましょうね。

行き過ぎた親切、不適切な親切
行き過ぎた誠実、不適切な誠実
「親切」も「誠実」もこんな言い回しが許されるはずがありません。
むろん間違い、誤りでしょ。

生徒を指導する、その前に、教育に携わる人たちに「指導」という言葉の正しい用い方を指導しておきませんと、誤った言葉遣いで謝るシーンをまたいつか見せられる事にもなりかねません。

 

♯033 「人づくり改革」

  • 2017.09.20 Wednesday
  • 12:01

あなた、つくられる人?

 



♯033 「人づくり改革」


まことに怖いことです。
時の政権が人をつくるという政策を打ち出したのです。勝手でごう慢な発想はどこから生まれたのでしょうね。

「つくる」は、“手を加えてもとと違ったものに仕上げる『岩波国語辞典』”、“
材料にあれこれ手を加えて目的の物にこしらえ出す『広辞苑』“という意味。
国民を、材料と見立ててそれまでと違った、政権の目的に即した人にこしらえ直すためにあれこれ手を加える、そのために制度を改め変えようということを打ち出したのですから、もう恐怖以外の何ものでもありません。

政権に反対でもするものなら、またデモや集会に参加するものなら、直ちに「人づくり改革」に基づく怪しい制度によってことごとく取り締まられ、挙げ句に思想や行動までも変えられてしまう。従わなければ壊される。
人づくりという言葉は、そういう意味をしっかりと表わしているのです。

尊重すべき多様な意見・意思を無視する政策を平気で実践しようという政権ですから、これまでのように改革には巧妙、否、姑息な手口を駆使するのでしょうね。
ひとつは、甘い言葉です。女性の活躍を推進します。教育費を無償にします。年金は大丈夫……。国民が抱く数々の不信に対しては、ご理解いただけるようにていねいに説明します、などなど。探せばまだあるのでしょうけど、騙す手口ですね。
むろん、騙される側にも油断があるわけですが、残念です。

人は、つくる対象ではありません。自律、そして自立し、善悪の判断ができ、権利と責任を果たし得る人格者に育てることこそが第一ですから。
一人ひとりの人権を認め尊重した政治を執り行うことが政権を有する側に望みたいわけですが、どうもそちらの方向ではなく、権力を我が力と勘違いし恐怖を隠し、制度に従順な人だけのための政治を意図している。
ドイツにもそういう人がいましたね。

あえて「人づくり改革」を行うとしたら、その対象は政権の域にいる人たちに絞り込みたいものです。民主主義を勉強させて国民の声に耳を傾け、うそはいけないこと、大義のない解散は卑劣であると認識できる人に仕立てるために。

 

♯032 「忸怩」

  • 2017.06.16 Friday
  • 11:32

 

入る穴、ふたつでは足りなさそう。

 



♯032 「忸怩」

ことの不正を知っていたのに、正さず、責任逃れしてしまった。
その訳を追及されたら、どう応えましょうか?
「どうにもちから不足で……」「事情が事情だったものですから……」「寄らば大樹の陰という先人の教えもありまして……」
この程度の屁理屈では、さらなる非難をあびそうです。
そんな折、ぴったりのお手本があります。

「誤りを正せなかった、わたくし、忸怩(じくじ)たる思いがあります」
文科省の前事務次官の言葉です。
忸怩。『広辞苑』には、恥じ入るさま。『新明解国語辞典』は、恥じて顔が赤くなる意、という次第で、忸も、怩も、その意味は“恥じる”ですから、恥じの2乗ですね。
となると、「わたくし、恥ずかしくて恥ずかしくて、ほら、顔が赤くなっていますよね」という釈明になります。
「あら、責任果たせなくって、わたし、恥ずかしいわ。穴があったら入りたい」なんて言うものなら、相手にあなどられてしまいますよ、あなた。
ここで「忸怩」を用いれば、あながち恥ずかしい思いをしなくても、その場はしのげるという塩梅です。

地位に「恋々」としていた、という言い方と、
地位に未練がましくしがみついていた、と言いのでは、
同じことを言うにも、「忸怩」と同様に、ちょいと賢そうな言葉を繰り出せば、
よしんば、そこに穴があっても入らなくても済む。

さておき、根本は、不正を正さなかった人より、不正を働いた方が「忸怩」たる思いをしなければならないはずでしょ。
そういう人たちこそ穴に入って、そのまま出て来ないでほしいわけで。
昨今、穴はふたつで足りそうもないことは明々白々。
いくつ掘っておけばいいのでしょうかね。


 

♯031 「働き方改革」

  • 2017.03.17 Friday
  • 18:49

もう、サボれなくなる改革。

 



♯031 「働き方改革」

かつて“サボる”*という言葉が、否、行為がありました。
自らの労働に対する賃金が不当に安価なために、支払われる額に見合っただけの労働を提供するという、労働者のささやかな抵抗、否、働き方であったわけですが。
なのに、こうした合理的な働き方を改革しようという不届き者が現れてきました。
労働者の“サボる“権利?を剥奪しようということのようです。

聞くところによると、既にサボれない状況は現実になっているという。
宅配便のクルマはGPSで監視されており、従業者の動きはバッチリお見通し。
夏の暑い日、公演横の木陰にクルマを停めてひと休みなど、昭和のノスタルジックなのです。
事務職だって、首からICカードなる物を下げさせられて、出勤・退社、部屋の出入りまで把握され、時間を無駄遣いしていないか管理されているわけでしょ。
労働者の唯一の特権であった“サボる”というスリル、否、モチベーションはどうなってしまうのか気がかりです。
長時間労働をなくし生活にゆとりをもたらすためにという詭弁の下に行われようとしている「働き方改革」。

待てよ!
人件費の抑制こそが利益につながると考え、“サボる”という言葉の意味をあえて“怠ける”と捉えたがる経営者、雇用者の考え方を改革することこそが重要ではないのか。
彼らの意識改革こそが、いま求められていはずです。

労働者は、“サボる”ことで、英気を養い、創造性を豊かにし、労働生産性を高めているのです、よね。
まっ、労働に値する賃金を得られる改革なら受け入れてもいい、否、経営者の本音を隠す言葉に騙されてはいけません。サボれなくなりますから。

*サボる:サボタージュ(労働組合の争議戦術の一つ。職場にはつくが、仕事の能率を下げて経営者に損をさせ紛争の解決を迫る方法)する。俗に、怠けること/岩波国語辞典


 

♯030 「信頼関係」

  • 2017.01.11 Wednesday
  • 14:02

 

トランプを楽しむ関係、なんだね

 



♯030 「信頼関係」


どうにも気になって仕様がありません。
一国の首相が、大統領候補になったばかりの人に合いに行き、その人との「信頼関係が築けたの、云々…」と口にしていたこと。それとは別に、領土問題等の会議に思いっきり遅刻しても謝罪すらしないもう一人の大統領に対しても、「信頼関係を云々…」と連発していたこと。
一連の発言を聞いて「信頼」の意味が変わってしまったのかと気になるのです。
相互に信じて、頼りあえてこその関係について用いる言葉なんですがね。

新明解国語辞典には、信頼:その人を信じきってすべてを任せること、とあります。他人を信じきるなんてあたやおろそかにできるものじゃない。
1度や2度合っただけで、ましてや大統領としての資質を疑いたくなるような言動を軽々しく行ってしまう人物を、軽々しく信じていいものでしょうか。

新たな関係を構築する、これまでの関係を改善するという用い方こそ適切な物言いのはずです。信頼は、ずっとずっと後の話、でしょ。
そもそも、政治の世界に相手を信ずるという行為があるのでしょうか。
信じているように見せかける、そう、本意を言わず見せかけがうまい人たちを政治家というのでしょうから、信頼関係という言葉とは無縁のはず。

たよりにできるとして信ずること:が「信頼」だという岩波国語辞典を素直に信じない世界が政治だとすれば、、、わかった!
信ずることはできないが頼らざるを得ない関係、疑いを抱きつつも助けてくれるものとしてよりかかる関係、これこそが信頼関係だったのですね。
ならば、首相の言葉遣いに誤りはない。
政治家同士の言葉遣いは裏をみるものなんですね。トランプも裏は、すべてが同じ模様だから、エースもジョーカーも見ただけでは判別できない。
そうとなれば、相手の顔色を見て腹を探り、そのうえでの駆け引きがすべてとなる。

信頼の意味を表で捉えていましたが、政治のこととなれば裏がある、裏こそ政治と理解すれば、一国の首相はまことに信頼できる人物なわけですね。
気になっていたことがすっきりしました。



 

♯029 「大丈夫」

  • 2016.09.09 Friday
  • 18:42

 

政治は、大丈夫でしょうか?大丈夫さん。

 



♯029 「大丈夫」

それはそれは残暑厳しい真昼のこと。
鎌倉の鶴岡八幡宮の門前に構えるそば屋に倒れ込むように暖簾をくぐり、席に着くなり茶そばを注文したのです。
愛想のよさそうな仲居さんは、私の様子を案じてか「ご注文は、茶そばで大丈夫ですか」と問いかけてくれ、「はい、お願いします」と応えると、すかさず「お飲みものは、大丈夫ですか」と、汗だくの私を見て声をかけてくれたのでしょうね。

違う。
私に対してだけでなく、仲居さんたちは、お客の一人ひとりに「〜は、大丈夫ですか」「大丈夫ですか」と問いかけているではありませんか。
大丈夫(だいじょうぶ)の用法がどうも違うようなのです。鎌倉では。

意味は、・しっかりしているさま、あぶなげのないさま、と『広辞苑』。
『新明解国語辞典』は、もっと丁寧です。・何かに対処できる条件が十分で、危険や万一の心配がない様子、・よい結果になることを請けあう様子、とあります。

違う。私の状況を心配しての“大丈夫”ではない。
妻に“大丈夫”の用い方に違和感有りと話すと、最近のサービス業では、この「〜は、大丈夫ですか」用法がはびこりつつあるということなのです。
「〜は、よろしかったでしょうか」と同じ意味あい(この用法にも違和感有り)のようです。
これは一大事ではありませんか。軽々と“大丈夫”が“よろしかった”的に使われてしまっては、日本語が大丈夫じゃない。
例えばですよ、「いまの政治で、大丈夫ですか。」と問うた場合、いまの政治でよろしかったでしょうか、と他人事のようにしか受けとられかねない。
さらに、大地震による原発問題などの“いざ鎌倉”の出来事の心配や危機感がしっかりと伝わらないではありませんか。

ちなみに、大丈夫(だいじょうふ)と読むと、立派な男子の意味なのですね。反対語は、小丈夫。
で、いまの政治は、大丈夫による大丈夫なものなのでしょうかね。それはそれは心配です。


 

♯028 「本者」

  • 2016.07.06 Wednesday
  • 21:03

 

広辞苑様、この言葉を掲載してください。

 



♯028 「本者」

 

わかっているようで、その実わかっていない言葉のひとつが「本物」でしょう。

広辞苑には:,砲擦發里任呂覆い發痢△箸修辰韻覆ぐ嫐説明。そんなことわかっているから、もう少し辞典らしい説明が欲しかったのですが。

やむを得ないから、「偽物」から問いつめることに。それも別の辞典、新明解国語辞典で。あれっ、「偽者」が主に扱われているではありませんか。
意味は:見せかけだけで、内容がお粗末な者、ということです。
これは興味深い。最近の政治家にフィットしますね。
先日、辞職させられた都知事が典型的。あまりにもお祖末。
でもね、一歩踏み込んで考えるとその人に投票した人もお粗末の仲間ですね。
「彼に裏切られた」と話す都民がテレビに映し出されていましたが、「あんたね、その立候補者が「偽者」であることを見抜けなかったそこに問題有りでしょう」と申し上げたい次第です。だからです、「偽者」の反対語として「本者」があればわかりやすい。
そうした視点で、お粗末知事の後を継ぎたいと出馬表明した方の本者度を確かめるわけです。
これまで、いろんな政党をアチコチ渡り歩き主義主張が何なのか一貫性が伺えない方は「本者」の政治家なのでしょうか。
選挙の前に、耳障りの良いことだけを並べ立てておいて、いざ当選するなり、自分たちに都合の良いことだけを具体化していく。卑怯なやり方で、例えば憲法を変えてしまうといった。
しかし、こうした手法が当人の本質なら、そっち方面での「本者」といえますがね。
そうなると、どうしても有権者としての「本者」が問われます。
有名だから、メディアによく登場するから、タレントの親だから、あの人が良いと言うから、何となく……そういうことで票を入れる人は、「偽物」のブランド品をチェックするその眼で「本物」、否「本者」を見抜いていただきたいのです。
そうそう、ですから、「本者」を知識として広めるためにも、私、広辞苑への掲載を願う者です。


 

♯027 「厳選」

  • 2016.05.25 Wednesday
  • 18:09

コーヒー豆と立候補者に関する考察。



♯027 「厳選」

この言葉を、わたくし勘違いしておりました。
上質なもの、優れたもの、あるいは高価なものを選び抜くことが厳選だ、と。
勘違いに気づかされたのは、コンビニで提供されるコーヒーのCMです。
その訴求コピーは、……厳選した豆だけを使った入れたての、云々……という文言で、さぞかし香り高くコクのある深い味わいだろうなと想像してしまったのです。
でも待てよ。そんな厳選イメージの豆を使って、あの安さは無理、無理。
つまり、厳選という言葉への勘違いに原因がある。

厳選の意味は:規準に合うものだけを選び情実をいれないこと(新明解国語辞典):厳重な基準によって選ぶこと。いい加減なことを許さないこと(岩波国語辞典)とあります、

そうか。キーポイントは、規準=基準ですね。コンビニでの提供価格に見合った規準の豆を選んでいるわけで、確かに、厳選したとは訴求しているが、上質な豆を使っているとはひと言もいっていない。故に、安いけどおいしいとは限らない。

見えてきましたよ。厳しく選ぶことの本質が。

わたくしたちは、選挙でいつも厳選を求められます。
投票に際して情実を加えたり、いい加減であったりしてはいけない。
肝心なことは、自らの規準をしっかりともつことができるかということでしょう。
有名だから、頼まれたから、雰囲気でなどというなは、規準として許されるものではない。
なのに、実態はどうでしょう。
昨今の都知事の政治と金の問題では、果たして都民は確かな規準をもって投票したのでしょうか。だってそうでしょう。圧倒的な得票数をもって当選したのに、この体たらく。対して、辞めるべきだという人の割合が90パーセント以上もあるというのです。選んだ規準は何だったのでしょう。

このことは、今後のすべての選挙において考えるべきことですね。
コンビニの厳選された豆を使ったコーヒーなら「まあ、こんなもんか」で済まされますが、選挙では許されませんから。
何をするにも厳選は、重要です。さらには、情実に左右されない規準をもつことも世のため、かも。


 

♯026 「思考停止」

  • 2016.03.30 Wednesday
  • 15:35

停止するには、予め思考あり、ですから。

♯026 「思考停止」




どうにかして、そう姑息な手段を用いてでも憲法を改正したいという人がいますね。
その人は、改正に反対する人の質疑に対して、「あなたは思考停止しているからわからないのだ」と、相手を非難するかのような物言いをされます。
納得に値する改正の必要性や理由を示さない、示せないままに「改正反対は思考停止だ」と決めつけ、責めもする。
思考停止の意味を正しく理解せず、良くないことのように思っていらっしゃるようです。残念。

ここで特に指摘したいのは、停止という言葉についてです。
“停止”とは、そうするまでに動き、作用があるから停止が成立するんですよ。
つまり、憲法について改正が必要か、否か、すべきか、すべきでないか、という思考を働かせているわけです。この働きをどの時点で停止(いったん動きを止めること:広辞苑)させるかが要点なんですね。
「うん、やはり改正すべきではない。ここの条項についてはどうだろう。国民の意見は?」などなど、熟慮の結果、どこかで停止させて民意を問う。

ところが、「あなたは思考停止だ」と、非難するかのように発言する人の改正理由は、説得力に欠き、憲法について、そもそも思考していないように受け取れますね。思考無し。
思考停止も何も、思考そのものが無いから、うなずける答弁ができない。停止もない。

思考という言葉について、新明解国語辞典は:冷静に論理をたどって考えること、とあります。なるほど。冷静に、ですね。
ところが、「思考停止だ」と、相手を責めて得意気な方は、この冷静さ、加えて論理の微塵も感じられません。時として、いらつき感が見て取れる。

そういう人が発する言葉って信頼に足るものでしょうか。でも、政治家の発言とは、この程度なのかもしれないし……改めて、政治家の言葉について思考してみようかな。



 

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近ごろ気になる言葉遣い。 よしときゃいいのに、お節介。

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