♯034 「指導」
- 2018.01.12 Friday
- 09:12
それは、謝りでなく誤りです。
♯034 「指導」
学校教育の現場で度々起きている不祥事。
被害者は,えてして生徒ということになります。
問題が発覚すると、とりあえず学校や教育委員会などの責任者が謝罪することになりますね。
長机を前にして、横に3・4人が並び頭をペコリと下げる見慣れたシーンです。
誠実さが伝わってこないのはなぜでしょうか。
謝罪の言葉はいつもお定まりで、事が起きたのは「行き過ぎた指導により……」「不適切な指導があった……」という具合です。
果たして、「指導」がなされていたら不祥事など発生するはずがないのですが。「指導はしたんですけどねぇ、それは行き過ぎていたり、不適切であったりしたわけなんですね。でも起きちゃった次第で」という責任逃れとも受け取れる展開に。
そうかなぁ、こんな言い訳が適切なのかなぁ?
そもそも、行き過ぎたら「指導」じゃないでしょう。不適切もそうです。
指導は、目的に向かって教え導くこと:『広辞苑』です。
辞書に頼るまでもなく、教育者であれば言葉の意味はおわかりのはず。
そのうえで謝罪の際に「指導」を引っ張り出すのはずるい、あざとい、情けない。
行き過ぎてでも、不適切でも「指導」していると言い張るのなら「指導」の代わりに「親切」であったり「誠実」という言葉に置き換えてみましょうね。
行き過ぎた親切、不適切な親切
行き過ぎた誠実、不適切な誠実
「親切」も「誠実」もこんな言い回しが許されるはずがありません。
むろん間違い、誤りでしょ。
生徒を指導する、その前に、教育に携わる人たちに「指導」という言葉の正しい用い方を指導しておきませんと、誤った言葉遣いで謝るシーンをまたいつか見せられる事にもなりかねません。
孝