♯025 「誤解」

  • 2016.03.01 Tuesday
  • 18:01

不用意なオナラは、誤解のもと。

♯025 「誤解」




はっきりとした言葉で言っておいて、問題発言ではないかと指摘される大臣は、一人や二人ではありませんね。議員もそうですが。
指摘されるやいなや「言葉足らずで…」とか「誤解を与えたとしたら…」などと平然と弁解。

言葉は、思ったり考えたりしているからこそ口に出るものであって、逆にそうでなければ言葉にできるはずがありません、
言葉は、その人の思考回路を経てうまれ発言に至るものと、わたしは確信しています。
とまれ、「誤解を与えたとしたら…」という言い訳は、発言に責任を有する立場の人が発する言葉ではないはずです。

誤解とは、意味をとり違えること、間違った理解をするという意味でしょ。
となれば、聞いたあなた(つまりは、わたしたち)の理解する能力が劣っているということになる。なるほどね、誤解したわたしたちがいけないわけです。

不用意な発言をしておいて(真意、もしくは意図的かもしれないけど)、挙げ句に、「…だったら撤回します」と言いだす始末。これも深刻な事態ですよ。

「誤解されたら、撤回します」で、軽く簡単に片付くものなのでしょうか。
出したものを引っ込めたら言わなかったこと、聞かなかったことになるのなら、こんなにも無責任な展開はない。
だって、オナラがそうでしょ。引っ込みがつきますか?
匂いは、周りを不快にしているのですよ。そこで、「わたしのオナラが嫌な思いをさせてしまったのなら、撤回します」というやり口が平気でまかり通ることになる。まあ、人間性が問われますが。
大臣たちの誤解と撤回発言も、オナラの例えが臭いほど当てはまるわけです。

あっ、でもね、この例え方だと誤解を与えてしまいそう。
もしもそうだとしたら……いつでも撤回いたしますので。わたくし。



 

♯024 「貰う」

  • 2016.02.03 Wednesday
  • 10:52

「年金を貰う」と言う人、誰から貰うの?

♯024 「貰う」




あらためて、「貰う」の意味を問えば、:人に請うて自分の物にする/広辞苑、とあります。請うは、願うという意味ですね。
別の辞典には、:人が呉れるという物を(頼んで)自分の物にする/新明解国語辞典。同じ辞典で「呉れる」は、:(けいべつしている相手に物を)与える、との説明。

ちょっと待てよ。
呉れるとは、物を普通に与えるという程度の意味だけでなく、人と人の間に差別のニュアンスが含まれていますね。
「年金を貰う」という言い方に当てはめると、誰かに対して請い、「お願いですから年金を与えてくださいませ」と頼むということになりそう。

さらに、「貰う」の反対語は、やる、与えるという言葉が顔を出す。
「年金を貰う」という人の反対側には、「年金が欲しいと願うのであれば、与えてやろうではないか」という側が存在することになります。それは、誰?お国?

言うまでもありませんが、年金は、わたしたち一人ひとりがせっせと働き、その引き当てとして納付・積立てた物であってお国のものなんかじゃない。とうぜん与えて貰うという性格のものでも、誰かが呉れるものでもないわけでして。

昨今、わたしたちが積立てた年金を年金積立金管理運用独立行政法人が自分のお金かのように巨額を運用し、10兆円の運用損を出したと報じられたりしていまます。
先々「貰う」うえで不安はないのでしょうか。与えてくれる側の責任はどうなるのでしょうね。

「いいじゃない。貰うと言ったって」という人が案外と多いのです。
人が使う言葉には、その人の意識や価値観が表われるものです。だからこそ「貰う」ではなく、「受給する」という言い方をおススメしたいのですが。


 

♯023 「死語」

  • 2015.11.19 Thursday
  • 12:30

流れ行く先は、死でしょうか。

♯023 「死語」




ことしの流行語大賞を決めようじゃないかと、メディア方面がかまびすしくなってきましたね。
ノミネートされた数々を見ると、知らない言葉がほとんど。
下流老人、存立危機事態、白紙撤回くらいは、もちのろん、知っていますよ。でも、これって流行語ですか?

流行語の意味を問えば、(ある期間、興味をもたれて多くの人に盛んに使用された語。/広辞苑)とあります。待てよ、興味は(おもしろいと感じる。/広辞苑)だから、上の3つの言葉は、おもしろがられているのでしょうか。流行語のグループに入れるなんて、ハレンチではありませんか。
しかも、ある期間を過ぎたら、どこかへ流れ行き死んでしまうというのでしょう。それでは困ります。

流行語の死因を考えてみました。
1- 時代の価値観にそぐわなくなってしまい、ダサイ!のひと言で葬られてしまう。
2- 生み出した世代や使った人たちから飽きられた挙句、それを使うと場がしらける!と追いやられて孤独死に。
3- むりやり流行語扱いされたはいいが、ナウい!と思われてハッスルしたけど実態が伴わず残念死

3つに分析して思うのですが、特に存立危機事態については流行語のグループに入れないでいただきたい。
憲法違反と指摘される安全保障関連法案の集団的自衛権を行使する際の前提条件の説明で用いられた存立危機事態。
この言葉は、ある期間においてとか、興味本位で使うのは無責任時代の再来としかいいようがありません。
いまこそ流れ行ってほしいのは国会軽視、国民軽視という言葉。デモ、否、でもって、存立危機事態が流行語に選ばれるものなら、それは早々に死語への流れ。いますぐにでもノミネートから白紙撤回しませんと平和意識の危機事態を招きかねません。


 

♯022 「1億総活躍」

  • 2015.10.27 Tuesday
  • 11:45

“総活躍+○○…”の○○に正解の言葉を入れてください。

♯022 「1億総活躍」



ねっ、季節も過ぎたというのにボウフラのように、またまた上滑りな言葉がわいてきましたね。この前は、「地方創生」でした。わけわからん!と言い捨ててしまいたいのですが、それでは揚げ足取りになりませんから、ちょいと突っついてみることに。

1億総活躍は、1億と活躍を総で結びつけただけのことで、1億総と総活躍に解剖できます。で、1億総は、日本の総人口は約1億2千万人だから、2千万人以外の総てということです。これはすぐにわかることで、わたしは2千万の側にいることにして。
さておき、総活躍のほうです。活躍という単語は、ただの名詞(めざましい活動をすること。大いに手腕をふるうこと。/広辞苑)で、どれだけでかい声でカ〜ツ〜ヤ〜クー!と叫んだところで「それが、どうした」としか応えようがありません。これが1億総活躍の本質そのものであり「それが、何なの?活躍しろと、指示するの?」となるわけです。

名詞には、何らかの動詞や助詞などを付け加えることで、はじめてメッセージ力のあるフレーズとして機能します。“活躍”+“する・しない・できる・できない・して欲しい・しないで欲しい”といった具合にです。
多くの人は素直に“総活躍+できる”と、相手に都合が良いように解釈して「この政策でわたしも活躍できる世の中になるんだ」と明日への期待を抱くのでしょうか。
1億総活躍という言葉は、だらだらと漢字をつなげただけで、期待するような社会にします、などと何も約束もしていません。同じ漢字5文字の本日大安売と謳うスーパーの売り文句のほうが、はるかにわくわく期待できそうです。

近ごろ、政治に軽はずみな言葉があふれていると思いませんか。1億総活躍の前には、女性の活躍がありました。あの言葉は何処へやら。もう女性は、“活躍+しなくてもよい”ということ?
三本の矢があったかと思えば、新三本の矢ですって。前の矢はすぐに古くなってしまい使い物にならないのか。材質が悪かったのか、や〜ね。下手な矢でも数打ちゃ当たる程度の中身なのでしょうか。。地方創生もいつまでのことやら。

そうそう、1億総活躍という言葉に期待して、“活躍+できる”とした思考に対して、わたしは、○○○…に“すれば〜”という言葉を入れて精一杯の応援をいたします、ねっ。


 

♯021 「抑止力」

  • 2015.08.31 Monday
  • 18:50

武器で押さえ続けることができると思う人、だ〜れ?

♯021 「抑止力」



1981年、ニューヨークでは統計史上もっとも犯罪が多かった年だそうです。この状況を舞台にアメリカン・ドリームを叶えようとする青年実業家の生き様を描いた映画を観ました。*1

彼は、クリーンなビジネスを信条とし、暴力を拒否。銃を持つことを許しません。彼の成功をねたむヤカラから度重なる襲撃を受けても武装しない。まわりは、銃による自衛をすすめるのですが、「わたしが武装すれば、相手はさらに構える」、銃は相手を抑止する力にならないと言い切るのです。

抑止という言葉を辞書で確かめると、それをさせないように押さえ付けること、とあります。ついでに抑圧は、欲望、行動などを押さえ付けること。抑制は、暴れださないように押さえ止めること。

押さえ付けるためには、相手の力以上の力が求められます。力があることを示さなければなりません。もちろん、さらなる力を保持し続けなければ効果がありません。
だってそうでしょう。わたしは子どものころ、喧嘩が弱かったので空手の技を身につけて喧嘩が強い子になりたかった。わたしとは別の手法を選んだ人もいます。武器としていつも自転車のチェーンをちらつかせ、しかもそうしたグループの傘のもとで強いふりをする手法です。
で、こうすることが抑止力をもつこのになると思ったわけですね。仮想の相手を押さえ付けることができると。

まさに、「わたしが武装すれば、相手はさらに構える」のごとく、構える相手以上の武装を整えるために、国に置き換えるならば、軍事費を費やし続けなければなりません。現に、日本における軍事費は大幅に増える方向にあります。
消費税を上げ、社会保障費を減らしてでも膨大な軍事予算を確保しなければ、否、増やし続け、誇示しなければならない道筋が明確なのです。

人には、知恵がありますよね。相手を押さえ付けることをしなくても良い、そのための知恵です。で、知恵のない人に限って、武装こそが抑止力と信じるのです。アメリカでは今もって銃による犯罪から解放されていません。残念ですね。
 孝

*1. 『アメリカン ドリーマー:理想の代償』
   ブログ1「映画、観たまんま」 http://eiga2015.kamiuse.com/


 

♯020 「マイナンバー」

  • 2015.06.30 Tuesday
  • 18:43
♯020 「マイナンバー」


ユウとマイを曖昧に使ったら、ミーは怒りますよ。

♯020 「マイナンバー」

ある日突然耳にすることになった言葉ですね。「それって、何?」と、問いをはさむ間もないままに、2015年10月から、わたしたちの元に12桁の番号が届けられるというのです。一方的に、です。

かつて、国民総背番号制という試みがありました。国民一人ひとりに番号を付けてアレコレ厳しく管理しようというわけで、このネーミングとなったのでしょう。
狙いは同じなのに、マイナンバーとしたことで、めでたく管理する側の願いが実現することになりました。

これって姑息なやり方だと思いませんか。総背番号という言葉は、素直でいい。単細胞の頭にもわかりやすく「番号で、こと細かく管理されるなんて嫌だね」と、総好かんを食った。
こういう過去を国民は忘れただろうというタイミングで、マイナンバーの登場です。カタカナにすればソフトな印象だし。「あっ、この12桁は、わたしの番号なんだ」と思い込ますようなこすっからい策略。

正確には、厳しく管理したい側が番号を付けるわけだから、ユア(your)ナンバーとなる。それを、マイとすり替えてしまった。
マイは、自らの意志、思い、欲するものなどを表わす言葉だから、マイホーム、マイカー(古いねぇ〜)、マイダーリン(死語だよね)といった用法が例えとなりますよね。
わたしたちは、自身に番号を付けていただき、その番号で管理してくださいと願い欲したのでしょうか。だったらマイナンバーということにもなるでしょう。

マイナンバーは、実態を曖昧にするイメージ戦略という手口です。漢字で総背番号では露骨過ぎたから、つくり笑顔を装い、「これ、あなたのマイナンバーですよ」と矛盾承知の強引訴求。秋から強引お届け。
こうした策略は、これからも用いられるかもしれません。ミーはもちろん、ユウも怒るべきときは、怒りましょうね。




 

♯019 「がっつり」

  • 2015.06.04 Thursday
  • 22:23

がっちりでなく、がっぽりでもなく……あ〜、がっくり

♯019 「がっつり」

きりり!と締まりがなく響きがすっきりしません。ましてや言葉の意味、用法もはっきりしませんね。

先日、50代女性と仕事の打合わせをしていると、「がっつりと人を集めるいい案はないでしょうか?」「わたし、がっつり働くわよ」「いい案がっつり出してね」などと、がっつりの大放出です。「がっつり食べる」という用い方も飛び出し、その度にわたしのテンションは、くっきりと下向きに。

てっきり若いテレビタレント衆の用語だと思っていたのです。で、耳にしたらスイッチを切ることでさっぱりした。
なのに、仕事の相手が“がっつり使用常習犯”となれば、そうはいかない。
お使いの当人は、まるっきり気にしていませんから、うっかり指摘しようものならあっさりといなされてしまいそう。

たくさん、充分にという意味なら「たっぷり」で、儲けたいなら「がっぽり」でいい。目標通り、時間通り食べたいのなら「きっちり」がある。「がっちり」は、しっかり組み合っていてすき間のないさま、物事がぴったりと合うさまを指すから、似て非なる言葉でしょ。
ニュアンスは、ゎからないでもありませんが、胃の腑にしっくりと落ちない。

言葉は、時代の雰囲気から生まれ、ひとり歩きを始める。そして、独自の用法をもつようになります。これまでも、多くの言葉が世に出て、いつのまにか彼方へ流れていきました。流行語というやつですね。
この視点から「がっつり」を捉えるなら、いまの時代は曖昧模糊としたどっちつかず、責任とらずの雰囲気にどっぷり浸かった時代だと、ざっくりと分析できるのではないでしょうか。

となると、「がっつり」を受け入れ難く物書くわたしは、そっくり時代についていけないはみ出し者ということになる、のかな!。あ〜、がっくり。



 

♯018 「主人」

  • 2015.05.24 Sunday
  • 10:26


主人は、主婦の夫で、主婦は、主人の妻

♯018 「主人」

「お帰りなさいませ、ご主人さま」とは、メイドカフェの客を迎える際の言葉とか。これはこれとしても、妻が日常的に「うちの主人は、云々」という使われ方が多いことに、わたくし違和感を拭えないでいたのです。だって、「主」に対しては、「従」が伴うわけで、夫が「主」ということは、妻であるあなたは「従う」立場である。この認識のもとに、「うちの主人」と言っているんですよね。などと突っ込みたくて仕方がなかったのです。

妻と夫の関係性は、他人にとやかく言われる筋合いのものではないわけですが。

「主人」の反対語を大辞典で引いてみました。まず、「客人」とあります。なるほど、順当ですね。次に、主人に仕える立場の「奉公人」です。
そう、ここんとこなんです。夫を「主人」と言う妻は、「奉公人」であるという関係性のことを理解して「うちの主人」と言っているのか。ということなんですね。
じゃ〜、夫のことをどう言えばいいのか。「うちの夫は、云々」でいいのではありませんか。ほかには、つれあい、ダンナ、宿六、すっとこドッコイ、こん畜生などが取り揃うわけで。どれも主/従の関係性は表わしていませんよね。

「主人」の反対語には、もうひとつありました。「主婦」です。ほほう、「主婦」視点からの夫は、「主人」でいいというわけです。確かに、『広辞苑』にも、一家の主、自分が仕えている人。ほかに、妻が夫を指していう称、とあります。
へ〜ぇ、そうなんだ〜。
じゃ〜「主婦」の意味は?一家の主人の妻で、一家を切りもりしている婦人。
女あるじ。…と、『広辞苑』。なんだか禅問答のようですね。

さておき、「うちの主人は、云々」は、主と従の関係性を示しているようで、わたくし違和感が拭えないのでありますよ。ご主人さま。


 

♯017 「自分」

  • 2015.04.25 Saturday
  • 20:59


わたしは、どこへ行ってしまったの?

♯017 「自分」

わたしを見失いそうな危うい事態が潜行していることに、あなた、お気づきですか。どうしてこんなことになってしまったのか。早いとこ手を打たないとこの言葉、さらに自分勝手な価値観をつくりあげてしまいかねません。

日常会話で自分自身のことを、「わたし」「僕」「俺」「我が輩」「拙者」などを用いず、すべてに「自分は…」「自分の…」という言い方をする人が増殖しているのです。「自分は、生ビールが飲みたいです」「自分の夢は、幸せな家庭を持つこと」といった具合に。「わたし」と意味は同じだから、「自分」を使ったら駄目だ!とは申しませんが。

「自分は、何々…」という物言いを耳にすると、わたし、むかし観た戦争映画が思い出されてしまうのです。お笑い系の映画だったかな。「自分は、三等兵であります」「それは自分のフンドシであります」といったように、すべてに「わたし」ではなく「自分」と言う戦争映画。現に国語辞典に、「自分:旧軍隊で多くもちいられた」…とあります。

最近の「自分」という言葉に危うさを感じるというのは、わたしのなかで戦争を連想してしまうからなんですかね。憲法9条や自衛隊の海外派兵などが問われる昨今と、右傾化という流れと符合するとは思いたくありませんが。
言葉は、時代とともに変化することはわかっています。重要なことは言葉が変化することで価値観にも影響するということです。

「わたしが、……」と言う方が品が良く、丁寧で賢そうにも伝わるのにね。増殖の流れに惑わされて「自分」を見失っているのでしょうか。安易に「自分」という言葉を使うなんて、薩摩男児の「おいどん」は、気に入らんとでごわす。 孝



 

♯016 「絆」

  • 2015.04.14 Tuesday
  • 17:20

馬をつなぎ止める綱なのに、ねっ。

♯016 「絆」

この言葉、大震災のあと特に頻繁に用いられるようになったと思うのです。大変な状況にあって、人はこころのつながりに救われることの尊さはきちんと受け止めているつもりですが。

しか〜し、この言葉が水戸黄門の印籠のように、メディアが都合良く多用しているのではないでしょうか。「絆」という言葉を差し出されて「ははぁ〜、ごもっとも。たいせつなこと」と頭を下げないのは、よろしくないことといった具合にです。「絆」に対して「なぜ、たいせつなの?」という疑問など御法度という見方が絶対的になっているのではないか。

言葉には責任はありません。岩波国語辞典には、絆:馬、犬、たかなどをつなぎ止める綱。転じて断とうとしても断ち切れない人の結びつき。ほたし、ともあって。「ほたし」は、自由を束縛するもの。と、これがそもそもの意味なのです。

さらに、「絆」は、素晴らしく尊いものであると、誰かに思い込まされているのではないかと考えてしまうのは、わたしだけでしょうか。
問題は、この「誰か」は誰か?ということです。情緒でもって、国民の意識を「絆」の方向にそらしておいて、もっと重要で肝心な点に注意が向かないように仕向けているのではと、「誰か」に対してわたしは疑心暗鬼も。

えっ、わたしのこうした勝手な考え方にこそ「ほたし」としての「絆」が必要ですと。なるほど、そうかもしれません。 孝




 

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近ごろ気になる言葉遣い。 よしときゃいいのに、お節介。

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